第1話~第3話


第3話 「焼肉銭湯」

更新日:2020年8月22日

 僕は昔から少し汚い店に惹かれてしまう。

 それは小さい頃、毎週、小汚いが、旨くて、安い、町の食堂に家族と行っていたからかもしれない。

 それに小汚い店の料理の値段が高い訳がないし、ある程度旨いはずであるという、信頼が僕にはあった。

 だってそうであろう。

 小汚い上に、不味くて、高かったら、この世に存在する価値はないのだ。

 そんな小汚い店に絶対的な信頼を寄せている僕はある時、一件のボロボロのお店を見つけた。

 その外観からギリギリ、飲食店という事は分かったものの、肝心の何屋さんかが分からない。

 僕が、恐る恐るその店の中に入ろうとするも、建て付けが悪くなっているのか、引き戸が開かない。

 ここで引き下がるような、昨日今日の小汚い店好きの僕ではない。

 こういう時は、戸を軽く持ち上げ、揺さぶれば開くという事を、今までの経験で知っている僕は、相撲の決まり手にもある「釣り出し」の様な体勢で引き戸を軽く持ち上げ「ガタガタ」と揺らし見事、中に入る事が出来た。

 そうして、建て付けの悪い引き戸と相撲を一番取り終え、中にと入ると、そこはどこもかしこも、本当にボロボロで、狭い通路にこれまた三つほどボロボロのテーブルとイスが置いてある。

 カウンターはあるが明らかに客に出す用では無い自分達が食べたであろう食べかけのポテトチップスや猫の餌が置いてあり、決して客は座ることが許さない状態であった。

 そして、通路の奥には座敷があるが真っ暗で、目を凝らすと何故か布団が敷いており、客を通すのは、これまた不可能である。

というか客的にも、そこに通されるのは不可能である。

 そして店内に貼ってある色褪せたメニューを見渡すと、焼肉屋さん定番のメニューの他にトンカツや名古屋名物の味噌カツなど、その散らかりぶりは、店の中に留まらず、メニューにも及んでいたが、恐らくここが焼肉屋さんである事は、そのメニューを見てギリギリ分かる事が出来た。

 そんな色んな意味で、散らかった店を切り盛りしていたのは、おばちゃんであった。

 おばちゃんにひとしきりお肉を注文すると、おばちゃんは、僕の注文したものを叫んだ。

 僕が、「厨房に誰かいるのかな?」と思っていると僕の背後から「あいよー」という声が聞こえた。

 驚いて振り向くと、なんと、先程のまっ暗い座敷に敷いてあった布団の中から、おじいさんがモゾモゾと這い出てきたではないか。

 聞けば、このお二人はご夫婦で、親父さんは、とても優しく、初めて来た私に、沢山話しかけてくれ、お勧めのお肉を教えてくださった。

 従順な僕は、数分前に布団から這い出て来た謎のおじいさんの助言に従い、先程自分で決めた注文を全て取り消し、親父さんの言う通りに注文をし直した。

 そして店主である、親父さん、お勧めのお肉を「旨い旨い」と言って食べる僕にさらに気を良くした親父さんは「奥さんとの馴れ初めや、お二人が今年65歳になる事、親父さんがサッカーをやっていた事、親父さん達が何時に起きて何時に寝るか」などのこちらが聞いてもない情報と、
「まさかの猫は飼っておらず、腹を空かせた猫が迷い込んだ時の為に一応カウンターに猫の餌を用意している事」など、「そこに腹を空かせたものがいるならば、腹いっぱいで帰す」という飲食業の鑑というべき考えと、ウィットに富んだトークをしながら、まるで高級ステーキハウスの如く、付きっ切りでお肉を焼いてくれた。

 若干の「自分で焼いて、自分のペースで食べたいな」という傲慢な気持ちは、親父さんの焼いてくれた美味しい肉と共に飲み込み、美味しそうにお肉を食べる僕を見て、さらに気分を良くした様子の親父さんは、店の奥から「これ他じゃ食えないよ!」と自信満々で飛び切りのホルモンを出してくれた。

 僕が早速そのホルモンを焼こうとすると「素人は手を出すな!!」と叫び、真剣な眼差しで親父さんはホルモンを焼き出し、この日一番の「今!」という気合いの入った合図に押された僕は、その一瞬まで、炎を上げ燃えていた熱々のホルモンを口に入れた。。

 この道、30年以上の親父さん渾身のホルモンの味は、率直に言うと。。

「生」だった。

「アレ?俺は今、ゼリーを食べているんだっけ?」と思うくらい中は冷えっ冷えのホルモン。

しかし、僕はこれでも義理人情に熱い日本人である。

 僕の為に真剣な眼差しで、外は激熱で、中は冷えっ冷えのホルモンを焼き続けている親父さんに「あの、これ、生なんですけど。。」なんて誰が言えようものか、
しかし「これを飲み込んではいけない」と、現代社会に衰退させながらも微かに残った野生の感という、潜在意識が身体の全てに「飲み込むな」と訴えかけてくる。

 そうして「口に入ったこのホルモン、いや、ゼリーをどうしようか」と、うつ向いている僕の顔を、自慢のホルモンを食べたリアクションを見ようと、覗き込んでくるマスターに「最高!!」と微笑み、鼻を咬む振りをしてティッシュに吐いてゴミ箱に捨てるという行為を、外は熱々、中は冷えっ冷えのホルモンを出された計5回繰り返した。

 少し酷いとは思われるかもしれないが、今冷静になって考えた頭でも、あの時のあの行動は正しかったと言える。

 そして、外は熱々だが中は冷えっ冷えのホルモンの感想をこれ以上求められまいと考えた僕は、唐突にマスターの奥さんに「この辺に銭湯はないか?」と尋ねると「銭湯行くの?それなら。。」となんと二階に自分達のお店が休みの日に行く銭湯の回数券を取りに行き僕にくれたのだ。

 なんという優しさだろう、僕はこの店の汚さと相反するお二人の心のキレイさに涙が流れそうになった。

 親父さんとおばさんから貰った銭湯の券を握りしめ、その銭湯に向かったが、その銭湯が定休日であったことなど、僕にとってはどうでも良いことなのだ。

 だって僕の身体も心も、親父さんとおばさんの優しさに、芯まで温まったのだから。

 そう、あの時、あの瞬間、あの店で、唯一、冷たかったものといえば、あのホルモンだけである。。

おわり


第2話 「怒りのカズコー」

更新日:2020年6月26日

※エッセイの第2話は、三遊亭ぐんまの長すぎるメルマガより、反響の多かった過去作品より編集してお送りいたします。※

 私、三遊亭ぐんまは令和2年5月下席より二ツ目昇進に昇進をさせて頂いた。

何とか師匠にも破門をされずにやって来させて頂いた訳だが。。
破門といえば、残念ながら、最近私の身近な人間が一人、破門になってしまった。

それは誰かと言うと私の姉である。無論、姉は芸人ではないのだが、ある人物に破門になってしまったのだ。
そのある人物というのは、母である。
というのも、私の母親は昔から怒りがすぐに頂点に達してしまうタイプの人間である。その怒り方というのが、全盛期の「ハルクホーガン」や「長州力」に匹敵するアレである。

因みに、母は私をボブヘアーの髪型にするとそっくりなので、晩年の長州力にも極めて似ている。まあ、母の怒り方というのは、昔からそうだが、近年はその怒り方に拍車がかかっている。

先日は家族で連絡を取り合っているグループラインから姉が突然外され「あの女は破門しました」とだけ書いてあった。
無論、姉の名前は「あの女」などではなく、「和ませて美しく成るように」と願いを込めて、母が「和美」と自ら名前を付けたのだが、その思い入れのある名前すら呼ばなくなり、私が今、生きている芸人の世界に寄せたのか「勘当」ではなく「破門」という言葉で家族にヒビが入った事をグループラインで報告してきた。

そもそも、美しくこそならなかったが、母の命名通り、他人との争いを嫌い、反抗期など全くなく、朗らかに周りや家族を和ませてきた「あの女」こと我が姉「和美」が何故、突然の破門を言い渡されたかというと、原因は父親の誕生日にある。

姉は8年前に嫁に行き三人の子供と旦那さんと幸せに暮らしている。何より、この幸せは一重に何不自由なく育ててくれた両親のお陰と感じている彼女は、父親の誕生日に父が好きな焼肉に連れて行く事を母に伝えていた。
母も父を想う姉の心に感謝をし「連れて行ってあげて!」と例のライングループに齢、60歳になろうとも母が若干こちらが恥ずかしく成るような覚えたての絵文字を使い送ってから、13分後。。「あの男を絶対に焼肉に連れて行くな!」と突然の箝口令がしかれた。

この13分の間に何があったかは知らないが、恐らくいつものテレビチャンネルの争奪戦(どの番組を見るかで揉めた)の末に大事件に発展した形だと、私も姉も30年以上、二人の子供として生きてきた経験上すぐに想像がついた。そんな些細なことでと思うかもしれないが、戦争や争いというものは、そんな些細なことで起きるものである。

因みに我々が取り合っている、この家族のグループラインからは、父親はこの事件より遥か前に「茶碗を洗うか洗わないか」で母の逆鱗に触れ、破門され、退会されていた。

そうして、母から「父を焼肉に連れて行くな」と言われた姉だが、先程申した通り「和ませる」ことに長けている姉は、母に内緒で焼肉に行っても分かるまいと父と口裏を合わせ、父を焼肉に連れて行ってしまったのだ。

しかし、これが甘かった。

焼肉に行った事がバレてしまったのだ。

何故バレてしまったのか。

そう。なんと母は父の携帯電話にGPS機能を付けており、群馬でもそれなりにお高い焼肉屋さんに行った事がバレてしまったのだ。

この場合、本来なら「お父さんを高い焼肉屋さんに連れて行ってくれてありがとう」と姉の優しさに感謝すべきだが、そうはいかない。
母が恨んで憎んでいる相手は我々も恨み憎まなければならない。これが我が一族の決まりなのだ。

それに反した姉は即座に破門が言い渡され、そうして家族のグループラインからは既に破門されていた父と姉が消え、私と母の二人になり、なんのグループ性も失いただの通常のラインと化してしまった。

しかし、悲劇はこれだけでは終わらなかった。

自分のせいで、姉をしくじらせてしまった父は母に全力で謝罪した。どう謝罪したかは、同じ男として武士の情けで綴る事はしないが、兎に角、全力で謝罪し、母親もそれで溜飲が下がったのか、なんとか父と姉を許るすと決め、姉の破門が解けたという電話を父が姉にしたのだ。

その際、日頃から母への不満が溜まって二人は、事もあろうに我が一族の絶対的権力者である母の悪口を電話口で喋ってしまったのだ。

そして、この悪口が全て母の耳に入ってしまった。

何故、母の耳に入ってしまったのか。

電話をした隣の部屋に母がいたのか?

母が寝ていると思い電話していたが実は起きていたか?

いやいや、父も姉も昨日今日の母との付き合いではない。

母親が半径10キロは離れていないと悪口を言う訳がない。
この日も母は14キロ離れた病院に祖母を連れて行っていた。

それなのに、何故、母は、二人の悪口を聞く事が出来たのか?

そう。父親の電話が盗聴されていたのだ。

何故そんなペレストロイカ時のソ連の様な行為が絵文字を覚えたての還暦を迎えた主婦に出来たかというと、携帯会社の振り込め詐欺などの対策で、父の電話は父の知らないところで、通話を録音するサービスに入っていたそうなのだ。

それを全く知らない父と姉は14分間母への鬱憤を垂れ流してしまい、一言一句聞き逃さず聞かれてしまった。
その後、姉へ母からまさに怒号という言葉以外の言葉が当てはまらない。

それこそ姉が録音サービスに入り、出るとこに出たら勝訴を得られるのではないかという、とても筆舌するにはおぞましい言葉の数々を投げかけられ、二度目の破門を言い渡されたそうだ。

因みに、まだ破門になっていない私には例のグループラインから「二ツ目になるなら着物を買ってあげる」と優しい連絡がきたが、いつ私も破門を言い渡されるか分からぬ身なので、気を引き締めなくてはならない。

そんな、人間破門製造機こと、母の名前は「周りを和ませる子」と書いて「和子」である。

尚、このエッセイも母に監視されている恐れがありますので、皆様も、くれぐれもお気をつけ下さい。


第1話 「ロイヤルバースデー」

更新日:2020年5月21日

 この度、私、三遊亭ぐんまは、5/21から前座から二ツ目に昇進させて頂きました。

記念すべきこの日に、このエッセイの第一話は、折角なので、師匠に弟子入りを許された日の事を綴ろうと思う。

因みに、師匠というのは、弟子の私にとって最も近くて最も遠くい存在(ウチの師匠はめちゃくちゃ優しい)だと思っている。

よって、師匠の事をここで綴るのは、恐れ多いので、今日だけお許しを請おうと思う。

師匠に弟子入りをお願いしたのが、約5年前。

師匠から「新作落語の台本を三本、書いて来なさい。良かったら弟子に取る。」と言われ、新作落語の書き方など、一切分からない私は、その時の私ですら「無茶苦茶な内容だな」と思いながらも、一生懸命書いた新作落語の台本、三本を後日、師匠に渡しに行った。

それから一ヶ月後、師匠が池袋演芸場の上の喫茶店に私を連れて行ってくれた。

これまでの経緯と、師匠の様子から、この世界の事を何も知らなかった私でも今日弟子入りを許されるか、許されないかが、言い渡されると、ハッキリと分かり、緊張なんて言葉では表せないくらいの緊張で体中がカチカチになっていたのを今でも思い出す。

そして、席に着いた私に、師匠が「何飲む?」とメニューを見せてくれたが、「こういう時は師匠と同じ物を頼むのがベスト」と少ない頭で考えた私は、師匠に「決まりました。」と伝え、店員さんが注文を取りに来る間、「同じものを」というセリフを投げやりにも、生意気にも取られない様に、声の高さや言い方を何度も何度も、頭の中でイメージトレーニングしていた。

そして程なくして店員さんが注文を取りにやってきた。

店員さんが「ご注文は?」と師匠に聞くと、師匠は真っ直ぐな目で「ロイヤルミルクティー」と「アイスコーヒーかブレンドコーヒーだろう」と想像していた僕の斜め上の注文をした。

僕は50歳を超えた師匠の「ロイヤルミルクティー」という予想外の注文を受け。

「弟子入りしようとしている人間がロイヤルミルクティーという大仰な名前の物を頼んでいいのか?

そもそもロイヤルミルクティーって何!?

どうロイヤルなの?

幾らなの?」と色んな想いが巡ったが、今更メニューを見返す事も出来ないし、あまりの予想外の出来事に、あれだけ「同じものを」と頭の中でシュミレーションしたセリフすら出ず。

「私はロイヤルです」と、群馬の田舎者がイギリス王室と関係があるという訳の分からないぶっ飛んだ嘘を付く様な発言にも耳をくれず、師匠は、それまでに私が書いた新作台本を取り出し。

「この作品はここがダメ。これはこう。」とまだ弟子入りも許してない、素人が書いたにしても酷い私の作品に的確にアドバイスをしてくれた。

その時、私が思ったことは一つ。

「この人の弟子になりたい」である。

そして、最後の台本を手にした師匠は「これだけは良かった」と弟子入りする事を許可してくれた。

その後、運ばれてきた「ロイヤルミルクティー」という、その名に恥じない大仰な容れ物に入った飲み物は、弟子入りを許されたという事を冷静に理解する為に全神経を使っている私の脳みそでは、飲み方が分からず、一切手を付けずにいると、熱湯のはずのロイヤルミルクティーをまるで真夏に冷たい麦茶を飲み干すかの様なスピードで平らげた師匠と喫茶店を後にした。

あれから5年間、前座として毎日寄席で修行させて頂き、師匠始め、師匠方、色物の先生方、先輩方、お囃子さん、お席亭、関係者の皆様、後輩にも、色々な事を教えて頂きました。

この場をお借りしまして、誠に有難うございます。

これからも宜しくお願い致します。

ただ色んな事を教えてくれたのに、誰も「ロイヤルミルクティー」の飲み方だけは、教えてくれなかったので、師匠の様に自力で「ロイヤルミルクティー」を飲める芸人になりたいと思います。

そんな「ロイヤルミルクティー」の似合う師匠の誕生日は、本日、私の昇進日と同じ5/21だそうです。

これはあまり色々教えてくれなかった、あまり仲良くない兄弟子の青森兄さんから昨日教わりました。。

兄さんありがとう。

師匠、おめでとうございます。

三遊亭ぐんま拝


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