第7話~第9話

第9話 「カミのみぞ知る」

更新日:2022年3月1日

「武士は食わねど高楊枝」

皆さんはこの言葉をご存知だろうか?簡単に言うと、お金がなくてご飯が食べられなくても、あたかも食べたかの様に楊枝を咥えて痩せ我慢をするという意味である。

私はこの言葉が好きだ。
これは、昨年のクリスマスイブのことである。

コロナ禍といえど、例年通り街は鮮やかな電飾で彩られ、そのなかをカップルや家族連れが、身を寄せ合いながらどこか楽しそうに歩いている。

こんな幸せ空気が漂う時には表に出掛けないのが身のためである。

しかし、この時期、たまたま寄席の出番とお仕事をいくつか頂いていたので、外に出なくてはならなかったし、こんな時に限り伸びた髪の毛が無性に気になったので、愚かにもクリスマスイブのその日に、髪の毛を切りに行く事にした。

行きつけの美容院に予約を入れると、世はクリスマスイブ当日、電話の向こうでは彼氏彼女との素敵な夜を過ごす為、ヘアメイクにやってきたであろう客の対応に忙しいという事が手に取る様に分かった。

いつも私の髪を切ってくれている美容師さんは「噺家如き今日じゃなくてもいいだろ!」という気持ちを「あっ、、分かりました!」と、一瞬空いた「間」にだけに収め、快く「お待ちしております」と対応してくれた。

そして、店に着いた僕は、いつもの様にこだわりの髪型を指示した。

私はこう見えて髪を切る際に、芸能人の切り抜きを持っていく。それが誰かというと「大竹しのぶ」である。

 別にウケ狙いという訳でもなく、36年間この顔で生きてきて、約7年間の噺家生活で自分という人間が、落語を語るのに、一番邪魔をしない適した髪型が「90年代初頭の大竹しのぶ氏の髪型」だという事が判明し、ここ二、三年はこの髪型を一貫している。

 数ミリ程度の誤差も許さない。その誤差が噺の誤差を産み出す可能性があるのだから。

 よって私はいつも美容師さんに、完璧な「大竹しのぶ」を要求するのだ。美容師さんもその気持ちを汲んで一生懸命「90年代初頭の大竹しのぶ」を仕上げてくれながら「今日この後、ご予定は?」という、この日全ての客にしたであろうクリスマスシーズンの営業トークをこの私にも投げかけてきた。
 私は内心「ある訳ねーだろ!夜の9時に寝巻き姿同然の格好で髪を切りにきて大竹しのぶにしている人間がクリスマスイブに予定なんかある訳ねーだろ!」と叫びたい気持ちでいっぱいだったが、そこは「武士は食わねど高楊枝」の精神の為「ええ、まあ」と、まるでこの後、何かあるという様な含んだ回答をして美容師さんの、から笑いを誘った。

その無駄に含んだ答えが1日働き通してくたびれている美容師さんの反感を買ってしまったのだろうか、シャンプーで髪を流し、丁寧にドライヤーをしてくれていた彼が突然放った一言に私は驚愕した。
「10円ハゲ出来てますね。。」
私は耳を疑った。
10円ハゲ!!
私の記憶が正しければ、10円ハゲというのは、精神的ストレスで発症するもので、36歳にして、毎日「芸」のことにだけ没頭しているこの生活の何処に、ストレスを感じる事があるのだろうか。

そりゃ確かに昨年は様々な事に挑戦した。

 ネタおろしや、自分自身で主催した会、学校寄席。仕事だけに留まらず、大師匠の死など、噺家になって初めての経験をしてきた。

 だからと言って、私の毛髪達がそんな貧弱なはずがない。何かの間違いでは無いかと訴えたが美容師さんは真っ直ぐな目で「ハゲてます」もうここまでハッキリ言ってくれると心地よい。
 そう私は曲がりなりにも、落語のプロである。どんなに悲しい事が起きても、やるせない事にぶち当たっても、その日与えられた高座で楽しく落語をするように。彼は毛髪のプロなのだ。私の頭皮がハゲてるから「ハゲてます」と的確に答えてくれただけである。

そんなプロの美容師である彼は髪が乾ききった私に「どうします?ワックス付けてセットしますか?」と聞いてくれた。もうプロフェッショナルが止まらないのだ。
クリスマスの夜に、寝巻き姿同然でやってきた、10円ハゲの男がこれからワックスを付けてどうする。これ以上、毛髪を虐めてどうしようというのだ。

 それに、付けたところで「大竹しのぶ」には変わらないのだ。しかし、クリスマスイブの予定を聞かれ、まるで何かが有る様な含んだ答えをしてしまった手前、断るのも悔しいので、冒頭で申し上げた通り「武士は食わねど高楊枝」の精神の私は「髪は無くともヘアーワックス」の精神で「バッチリ決めて下さい」と伝え、この後、何の予定も無いにも関わらず、ワックスでビッシリとセットして貰った。

お陰で何の予定もなかったクリスマスイブの夜に急いで家に帰り、ワックスを洗い流すという予定だけは、出来たのであった。。

それにしても、社会や他人にストレスを与えられ、ハゲるくらい悩んでしまうのはいただけないし、皆様にはそうなって欲しく無いが、自らハゲるくらい没頭出来るものに出会えた私は幸せ者である。

と言う訳で、今年もやりたい事は全てやれる様に、駆け抜けて行く所存でございますので、皆様しっかり私に付いて来て頂きたい。
あと私の毛髪達もしっかり付いてきてくれますように。。
今年初のエッセイが「髪(神)頼み」から始まってしまったが、今年も私の髪型が「大竹しのぶ」カットに出来るかどうかは、まさに「髪(神)のみぞ知る」のである。

おわり


第8話 「いつも通り」

更新日:2021年9月3日

私は、銭湯やサウナが大好きである。
今日はこのサウナの魅力を簡単にお伝えしたいと思う。サウナと言っても色々あるのだが、簡単に言うと80度〜100度前後の暑い部屋で10分程度我慢し、その後、1~2分全身を冷たい水に我慢して浸けたのち、イスに座って「ボーっ」とする。

この軽い拷問にも似た行為を三回ほど繰り返すと、頭と身体の神経と細胞がおかしくなり、「フワフワ」としてきて、日頃から我々を苦しめる小さな悩みなどどうでも良くなる、昨今のサウナブームの象徴の「ととのう」という現象になる。

是非皆様にも体験して頂きたいが、ここで注意して欲しいのは、友人や知人と行った際に、無理してペースを合わせないということである。好きなテレビタレントや音楽や食べ物が違うように、我々人類は、暑い温度に耐えられる人、耐えられない人、人それぞれなのだ。

ましてやサウナでどちらが我慢出来るかと勝負するなどもってのほかである。

これらの忠告を聞かずに無理をしたサウナの入り方をしてしまうと、大変な事態になりかねない。あくまで自分の限界は超えずにご自分のペースでサウナを楽しんで頂きたいものである。

これは以前、僕がサウナ好きが祟って、とある地方のサウナに行った際の話である。

そこは一見、何の変哲もない店構えで、受付に着くと一見、何の変哲もない「伊藤くん」という名の好青年なスタッフさんが快く迎えてくれた。

そして必要な用紙に自分の住所などを書き込むという一見、何の変哲もない受付を済ませると、その用紙に目を通した彼は「うわー!東京からのお客さんですね!」と個人情報を高らかに漏らせた後「熱波(ねっぱ)もあるのでよかったらどうぞ!」と教えてくれた。

因みに「熱波」とは、別名「ロウリュウ」や「アウフグース」とも呼ばれ、サウナの本場、フィンランドに伝わる伝統的なサウナ入浴法で、熱したサウナストーン(香花石)にアロマ水をかけることで発生した蒸気を、タオルなどで扇ぎ、香りと心地よい熱風を利用者に送り、一気に発汗を促すものである。

つまり「熱い風の波を送る」と書いて「熱波」

そして、その「熱い風の波を送る人」を「熱波師」と呼ぶのだ。

サウナ好きにこの「熱波」があると聞いて胸を高鳴らせない人間など存在しない。現に僕も「熱波」があると聞いて、母に「今晩ゴーヤチャンプルよ」と言われた時くらい嬉しかった。

余談であるが、僕は「ゴーヤチャンプル」が好物である。

初めて「ゴーヤチャンプル」を口にしたのは、幼少期の夏休みに沖縄旅行などのバカンスに行けずスネている僕に「他の家はソーメンだけど、ウチは特別に!!ゴーヤチャンプルだよ!!」と母が力を込めて「ゴーヤチャンプル」を出してくれた時であった。

それを何故か「そうか、近所に住むヒロ君がソーメンを食べている間、僕はゴーヤチャンプルを食べているのか」と思い、誇らしささえ感じていたが、夏休みが明けると「ヒロ君」から伊豆旅行のお土産を貰い「ソーメンで良いから伊豆旅行に行きたかったな」とそんな苦い思いをしたにも関わらず「ゴーヤチャンプル」の美味しさは揺らぐものではなく、僕は沖縄出身でもないのに「ゴーヤチャンプル」が好物になり、今でも群馬県の実家に帰る時は決まって食卓に「ゴーヤチャンプル」が用意されるようになった。

話は逸れたがそれ位このサウナに「熱波」がある事が嬉しかった。

がしかし、僕は日頃から「プロレスラーはリングを降りたら紳士であれ」という「アントニオ猪木氏」の教えを遂行しているので「熱波がある」と聞いて小躍りなど下品な喜び方などしない。

そう、私は、紳士のサウナーなのである。

これはあくまで僕の持論だが「熱波」はサウナのおまけ。「サウナをより楽しんで貰いたい」というお店側の「サービス」「おもてなし」なのだ。

いうならば、お蕎麦屋さんで蕎麦を食べた後に貰える蕎麦湯のようなもの。もしくは、焼肉屋さんでお会計を済ませた後にお口の匂い消しの為に貰える安っちいペラペラのミントガムを貰うようなものである。

あの時に「イヤッホー!!蕎麦湯大好きー!!頭からぶっかけちゃって下さい!」「OH!!ギブミー!ミントガム!!」などという下品な喜び方をする人間がいるだろうか。

この場合「え?いいんですか?どうも」と「お心遣いありがとうございます」と聞こえるような笑みを浮かべる控えめな喜びをあらわすのがベストであると考える私は、「伊藤君」の「熱波あります」に対して、本当は「えー!!熱波あんの!!ヒャッホー!急いでサウナ行かなくちゃ!」とまだロッカールームにも行ってないのにいち早くサウナに飛び込みたいが為に受付でズボンのチャックを下ろしてしまいたいという下品な気持ちを抑えて、「お!熱波あるんですか。やった」と最新の注意を払って喜びすぎない、ほくそ笑む程度の喜びを表すと「伊藤くん」は「東京のお客さんに熱波送れることなんて早々ないから頑張らなくっちゃ!!」と目を輝かせ、声を上擦らせながら腕まくりをしてみせた。

私はまだ36年間しか生きてきていない若輩者だが、この手のタイプの頑張り屋さんは非常に危険である事を知っている。

こういうタイプのほとんどが、無駄に頑張り過ぎて空回りし、とんでもない失敗を犯す為、重要な任務を任せられないことが多い。

しかも、やる気を表すために腕まくりをするなんて、古典落語で喧嘩っ早いが喧嘩は弱い登場人物しかやらない所作である。

こうして出会って直ぐに初対面の僕に「好青年」である事と「コイツはヤバい」という両極端なイメージを与えた彼を受付に残し、僕は一人サウナへと向かった。

はやる気持ちを抑え、脱衣所で服を脱ぎ、浴場に入ると、「伊藤くん」の人柄を表すようにサウナや浴槽は隅々まで良く清掃されていてキレイであった。

僕は来たるべく「伊藤くんの熱波」を最高な状態で受け止める為に、冒頭で申し上げたサウナの入り方、命名「神経拷問」を4セット程、繰り返して最終セットとなる5セット目で「伊藤君の熱波」を受け大量の汗を発汗しようと思い、サウナ前で待機していた。

何故、待機するかというと通常「熱波」は大変に人気であり、専業主婦がスーパーのタイムセールを欠かせない様に、我々サウナ好きにとって「熱波」は絶対に逃せないサービスタイムなのだ。

「おいおい、さっき品よく受けるべきサービスと言っていたではないか」とお思いの読者もいるだろうが、お気付きだろうか。

受付で「熱波」があることを告げられた際、我々は服を着ている良識ある民間人だが、今は全員裸で年齢も生まれも職種も関係なく、汗を垂れ流すことだけに欲望をむき出しにした獣なのである。

そうプロレスラーがリングで暴れる様に、サウナーはサウナで暴れるのだ。

勿論、ルール違反をせずに戦わねばならない。この場合のルール違反とは、サウナ内で不必要なことを話したり、自分の座りたい場所を取る為にタオルを置いていく「場所取り」などの行為である。

よって「熱波」が行われる「18時」になるとサウナ内は、汗を流すことに欲望を剥き出しにした獣「発汗獣(はっかんじゅう)」と化した男たちで一杯になってしまう。

だから僕は5分前からサウナで一番熱いと言われている三段ある内の一番上の段に陣取り(サウナ内は基本的に2~3段あり上へ行けばいくほど熱いとされている)

まるで戦場の自陣で吉報を待つ「武田信玄公」のように隣に座る方へ邪魔にならないくらい足を広げ、腕を組み、自分と同じように「発汗」する為だけに精神を研ぎ澄ませた同志達の到着を待った。

しかし、5分前だというのに同志たちは全く戦場にやってこない。

そして「熱波」3分前になりようやく、同志たちがダラダラとやってきた。

しかも、皆、浮かぬ顔をしている。

そして常連の一人が「今日の熱波、伊藤君だってよ」と呟くと、もう一人の常連が「本当かよ?じゃあオレやめようかな?」と肩を落とし「発汗獣」とは程遠い、弱々しいただの「油汗爺(あぶらあせじじい)」がそこにいるではないか。

昨日今日のサウナーでは無い風格のこの「発汗獣」達をただの「油汗爺」に堕落させてしまうなんて「伊藤君」の「熱波」はそれ程までに強烈なのかと、若造の自分に耐えられるのかと不安もよぎったが。

いやいや、これは好きな女の子をついついイジめてしまう小学生男子のような、常連さん達の「熱波師イジリ」だと思い直し、その睦まじい光景に最上段から微笑んでいる「武田信玄公」状態の僕を見付けた常連さんが「お兄ちゃん、伊藤君初めてでしょ?最上段は止めた方がいいよ。全身火傷しちゃうよ」と声を掛けてくれた。

短い滞在時間の中で、その土地の方々は非常に心優しい方ばかりだということを感じ取っていた僕は、その忠告が真実だということは理解したが、一度、陣地を構えた武将が敵の陽動作戦に乗り、陣地を変える事などどうして出来よう。

僕は「東京で熱い熱波くらってますし、群馬出身で夏は暑いもんですから大丈夫だと思います」といくらサウナで思考回路がボヤけていたとはいえ、お門違いも甚だしい珍解答をしていまい、熱い室内にいる常連さん達もさぞ興ざめしたであろうと思えたが、たった一人僕の発言に火の付いた漢がいた。

それは常連の「たっつあん」という人物であった。

彼は40代から50代の細マッチョ体型の中年男性で「まだまだ若いモンには負けねーぜ」と言わんばかりに髪を茶色に染めており、数十年前には、親や教師を困らせてきたにも関わらず「仲間はみすてねえぜ!」というポリシーが感じ取れる風貌で「東京モンに舐められる訳には行かない。ここは俺が守るんじゃい!!」と言わんばかりに一番下の段にいた「たっつあん」は僕に睨みを利かせながら、最上段に上がり僕の隣へと腰を据えた。

それを見た仲間たちが「たっつあん、そんな上座ったことないだろ?大丈夫かい?」と心配の声を上げると「たっつあん」は「いつも通りだぜ」とこう答えた。

この時「たっつあん」は裸だったので確認出来ないが間違いなく服を着ていたら腕まくりをしていたであろう。

そう、あの男と「たっつあん」は同じ人種なのである。

そうして、18時になり「たっつあん」のお陰で体感として2度程温度の上がったサウナ室に、真の腕まくり男「伊藤君」が入って来た。

アロマ水が入ったバケツを持ち、ただならぬ雰囲気を醸し出し、ニヤニヤと入って来た彼の姿は、まるで怪奇映画の変態拷問人のようであった。

その姿を確認した常連さん達は「うわー!ホントに伊藤君だよー!!」とデリカシーの「デ」の字も無いくらい彼の登場に望まぬ声を上げた。

さらに常連が「そっちのお客さん東京からだってよ」と彼を煽るとさらに彼は「知ってまーす!今日は凄いですよー!!皆さん火傷しないように気を付けて下さいねー!!」とまた声を上擦らせながら、今度は絶叫してみせた。

「いや、火傷しないように気を付けるのはお前だろ!」と我々のツッコミを掻き消す様に彼が「熱々のサウナストーンにアロマ水」を掛けると「ジューッ!!」と勢いの良い音がしたのも束の間、彼はタオルをブンブンと振り廻し、その蒸気を一気に室内に上昇させた。

その後も彼から送られてくる「熱波」はとても筆舌の及ぶものではなく、そのサウナ内にいた生まれた年代も場所も性格も違う人々が「ただ熱い」という感情に耐え、阿鼻叫喚を上げていた。

更に拷問狂と化した「伊藤君」は我々一人一人の前に立ちタオルを下から上へと振りおろし熱風を送ってくれた。

これは全国各地の「熱波」でも行われる光景だが、こと「伊藤君」になると話が違う。

僕に送られた風は熱風なんて生易しいものでは無く、全身が「ビリビリ」と熱いというかもはや痛い。

軽い罪を犯した者が地獄で受けるちょっとした罰くらいの熱さはある。

そして僕の獄門が終わり「たっつあん」の番になった。

普段からサウナで最も熱い最上段に登る事の無い彼は、既に限界の顔を見せていたが、もはや拷問人から地獄の獄門鬼と化した「伊藤君の熱波」は容赦なく襲いかかり「たっつあん」は思わず「ぐうえええー!!」とそれこそ地獄の罪人のような断末魔を上げていた。

そんな彼を心配した常連たちは「たっつあん大丈夫か?」と声を掛けるも彼は「いつも通りだぜ~」とその表情とは正反対の涼しいセリフを吐き、その後も我々は「熱風」に耐え続け、地獄の獄門鬼「伊藤君」の「熱波」は終わりを告げた。

普通「熱波」終了後には熱いサウナ内で汗だくになり力の限りタオルを振り廻してくれた「熱波師」に客から拍手が送られるのだが、常連達からは「熱すぎるよ!!」「明日保健所に訴えに行く」など、何故か地方の人は「保健所とJA」に絶対的信頼を置いてる事が伺える暴言を吐き、我先へと水風呂に直行した。

僕も、暴言を吐かれても「ニヤニヤ」とほほ笑む「伊藤君」をフォローする余裕も無く、マナーである「かけ湯」でキチンと汗を流してから、水風呂へ飛び込んだ。

サウナから水風呂というのは、茹でたうどんや緑黄色野菜を流水に通すのと一緒なくらい必須行為である。

そうして「伊藤君の灼熱地獄」から無事生還した私と常連たちが、水風呂に浸かり現世で「地獄で仏」を体感し「命のありがたみ」を噛み締めていると、まだ一人サウナから生還していない人物がいることに気が付いた。

そう「たっつあん」である。

我々全員が彼の存在が無い事を確認したその時、サウナ室のドアが開き「伊藤君」に付き添われて「ゆーっくり」とやってくる男がいた。

「たっつあん」である。

まるで生まれたての小鹿の様に、いや、オシッコを漏らした子供のように足をすりながら「ゆーっくり」とやってきた。

恐らく足に軽い火傷をしたのであろう。

そうして皆が「たっつあん、無事だったか」と胸を撫で下ろしたのも束の間、彼はその軽く火傷した足を上手く動かせなかったのであろう、待ち望んでいた水風呂では無く、隣りの湯船へと落下したのだ。

しかも、こともあろうに、落下した湯船というのが、その施設で一番熱い「47度」ある湯船で、その熱さは頑張れば「チキンラーメン」くらいなら出来上がるであろう熱湯であった。

そこにまるでアクション映画のクライマックスシーン(1時間49分くらい経過したところ)で助けきれなかった親友がビルの屋上からスローモーションで落下するように「たっつあん」は仰向けでダイナミックにダイブした。

「47度」の熱湯に浸かっても、飛び上がってくる気力もない彼を心配した我々が「たっつあん大丈夫か!」と駆け寄ると、彼は顔面の筋肉を「プルプル」と震えさせながら「い、つ、も、どお、り、だぜ、え、~」と晩年の名人の噺家のように「たっぷりとした間の取り方」で声を震わせ、最期の力を振り絞り、熱さで「茹でたタコ」と見間違うような真っ赤に染まった親指を突き立てた。

ウソを付け。どこの世界に「伊藤君の熱波」の後に「47度」の熱湯に入る人間がいるのだ。

「お前は丁寧に作った、から揚げか!」と二度揚げの「から揚げ」状態の「たっつあん」にツッコミを入れつつも、その精神力には敵ながらアッパレと感じた僕は常連さん達とともに「たっつあん」を熱湯から引き揚げ、一緒に水風呂に入った。

すると地獄の獄門鬼から好青年へと姿を戻した「伊藤君」は「おつかれさまでした」と「にこやかな笑顔」でまたタオルを上から下に全力で振りかざし、今度は涼しい風を我々に送ってくれた。

どんどん汗の引いていく我々とは対照的に「伊藤君」はますます汗だくになっていく。

そんな彼に「伊藤君ありがとう」と声を掛け、一人、また、一人と浴場から脱衣所へと上がっていく。

そう、またそれぞれが、それぞれの服を着て、それぞれの皮を被り、それぞれの生活に戻って行くのだ。

そして僕も、サウナから上がり帰宅しようと、受付に向かうと、先程汗だくで「熱波」を送ってくれた「伊藤君」がもう受付業務についていた。

そんな働き者の彼に「とても良かったです。ありがとうございました」と声を掛けると、彼は「こちらこそありがとうございました」と言って、握手を求めて来た。

僕も差し出されたその手を強く握ろうと、ふと、彼の手を見ると、その手の甲にはグルグルと氷が貼られているではないか。

そう、あまりに頑張って「熱波」を送りすぎた為に火傷を負っているのだ。

そんな彼を心配し「伊藤君その手大丈夫?」と聞くと彼は「ああ。これ、いつも通りです!!」と笑って微笑んだ。

「いや!もうやめてしまえ!火傷するのがいつも通りなら、君はこの仕事絶対に向いてないから辞めた方が良い!」と叫びたかったが、サウナを出たら紳士を心掛けている僕はその場を後にした。

あれから新型コロナウイルスの感染拡大などもあり、あのサウナには行けていないが、今日もあそこに「いつも通り」の非日常が繰り返されていることを切に願っている。


おわり



第7話 「妄想牧場」

更新日:2021年6月2日

僕は動物好きである。

幼い頃より動物の図鑑を沢山買って貰ったり、毎週土曜日には「みのもんた」司会でTBSで放送されていた「どうぶつ奇想天外」という動物ドキュメント番組を楽しみに観ていた。

その番組のなかに千石先生という動物学者が出てくるのだが、幼心に「みのもんた」の予定調和のやっつけコメントよりも怪しい動物学者、千石先生のコメントを待ち望んでいた。
当時、90年代にご意見番として引っ張りだこだった「みのもんた」を信用しなかった人間など私くらいであろう。

そんな動物好きな僕が小さい頃、特に憧れを抱いていた場所というのが、牧場である。

何故牧場が好きかは、動物が好きという理由以外にも訳があり。
それは幼い頃より好きだったプロレスが関係している。
プロレスラーのドリーファンクとテリーファンクという兄弟レスラーはテキサスのファンクス牧場という牧場出身でテキサスのカウボーイらしくテンガロンハットを被って入場していた。

それに憧れた僕は、父親と一緒に西部劇も良く観る様になり、父親のテンガロンハットを被り気分はカウボーイで、休日はことある事に群馬県にある「赤城ドイツ村」や「伊香保グリーン牧場」といった牧場に連れて行って貰い、ポニーに乗せてもらっては、陽気なテキサス野郎になっていた。

しかし、実際は、ポニーに乗る時には安全の為に牧場が用意した安物のローラースケートに付属されていそうな「落馬したらこれじゃ絶対凌げないだろう」という陳腐で妙に光沢の効いた青いヘルメットを被らなくてはならず、父親のブカブカなテンガロンハットを脱いで、渋々ヘルメットを被り、毎度その青いヘルメットの光沢さと反比例する曇った表情で不貞腐れながらポニーの揺れを複雑な気持ちで楽しんでいた。

勿論、お馬さんに乗る事も大好きであったが、中でもお気に入りだったのが、馬がいる厩舎だった。
そこには馬やポニーの名前、体重や年齢、好きな食べ物などが来場者用に書いてあった。
僕はそれを見るのが大好きで、早速自分の家にも牧場を作りたくなった。
しかし、我が家には肝心の馬がいない。
それどころか、牧場に必要不可欠な、鶏や牛もいない。
僕は幼い頃から田舎の癖に、家に鶏も牛も馬もいない事が不満で仕方がなかった。
田舎なのに、鶏も牛も馬も居なければ、田舎に住んでいるという事に、なんのメリットがあるというのだろうか。
「これでは、カレーライスに肉やニンジンもジャガイモも入ってないのと同じだから、鶏や牛や馬を買ってくれ」と両親に主張したが「肉やニンジンやジャガイモが入ってなくてもカレーはカレーだ」と一蹴され、僕の家畜導入計画は頓挫した。

ならば自分で作るしかない。

当時、我が家には「ココ」と名の付いたヨークシャテリアとシーズーの雑種犬と、母親が「ラブラドールは頭が良さそうだから」と飼ったものの、その期待とは裏腹に、頭は悪いが可愛げだけは持ち合わせた「ナッツ」と名の付いた二頭の犬がいた。

早速「ココ」の小屋にプロフィールを書こうと思ったが、生年月日を知らなかったので、母親に尋ねたものの、覚えておらず「そういった了見で犬を飼うやつがあるか」と言ったが「犬の糞の後始末もしないやつが生意気な事を言うな」と怒られてしまい何も言えなくなった私はただ「フン」とだけ言い残し、犬、いや、馬の餌やりへと作業を移した。

早速、僕の牧場化計画は、つまづきを見せたが、牧場主としての熱意はこんなものではない。
かつて19世紀アメリカ西部で未開の地を開拓し、牧場を作ったカウボーイ達の困難はこんなものでは無かったはずなのだから。

それから僕は、祖母が畑用に使っていたリアカーを拝借し、畑の雑草をそれに乗せて運び、先程記述したおバカなラブラドール犬「ナッツ」に食べさせようとしたが、胸焼けも起こしていない犬が雑草など食べる訳もなく、遊んで貰えると勘違いしたナッツはその場で気が狂った様に飛び跳ねて、自分で排出した大量の糞を撒き散らしてきた。

その一部始終を勝手口の窓から見ていた母親から「牧場主なら糞を片付けて下さい」と命じられ、まんまと牧場主から使用人と成り下がってしまったが、命じられるがままに、ナッツの糞を片付け、動機は不純だが飼い主としての使命を全うした。
しかし、いくら糞の掃除をして飼い主として恩を着せたとしても、犬であるナッツはムシャムシャと草は食べてくれない。

僕は馬がムシャムシャと草を食べる姿を見たいのだ。
どこか近くにムシャムシャと草を食べる動物はいないかと見渡したところ。

我が家にはムシャムシャと草を食べる、うってつけの動物がいることに気が付いた。
それは、一緒に住んでいる祖母である。
祖母は、自分の畑を持ち野菜を作っているだけあり、野菜を良く食べていた。

しかし、その食べ方というのが、生ではなく、必ず野菜を茹でて食べるのだ。
何故か祖母は決して野菜を生では食べなかった。
僕は馬の様に「ムシャムシャ」と草を食べる音と姿が見たかったのに、年老いた祖母は柔らかく茹でた野菜、主にナッパを「ムシャムシャ」ではなく、どちらかというと「モチャモチャ」と音をたて食べていた。

しかし、音こそ求めていたものとは違ったが、あの馬の草をすり潰して食べる為に口を横に動かす独特な動きと、祖母の入れ歯の噛み合わせが悪い為に口を横に動かす動きが類似しており、僕は自らのイマジネーションの豊かさを有効活用し、祖母を暫く年老いた馬として錯覚する事に成功した。

こうして我が牧場の厩舎には、年老いた老馬(老婆)一頭が入る事になったが、この老馬をより馬の姿に近付ける為、牧場主の僕は、幾多ある野菜の中でも祖母の口の動きが馬の動きに最も似るのが「おかひじき」という「シャキシャキ食感」が売りの野菜だという事に気付いた。

この「おかひじき」という野菜。

最近では、東京のスーパーでも見る様になったが、我が家の庭には「おかひじき」が自生していた為、普段なら先程記述したおバカ犬がオシッコを引っかけている可能性があるので「おかひじき」を進んで食べることは無かったが、祖母を馬に見立てたいが為に「おかひじきが食べたい」と母に申し出ると、珍しく野菜を進んで食べようとする子供の意思を汲み取り、我が家の食卓には、それから毎日「おかひじき」が出された。

実際は「おかひじき」が食べたかった訳ではない僕は「おかひじき」が出るとまるで好物かの様に喜ぶも、その実、「やや固いおかひじきより」も「柔らかく茹でたナッパ」を食べたいであろう祖母がズレる入れ歯を駆使して馬の様に「おかひじき」を咀嚼する姿を愛でていたのだ。

そうして手に入れた老馬(老婆)の厩舎(祖母の部屋)の襖に「名前→ゆわ 年齢→1007歳 好きな食べ物→茹でた野菜 」
と如何にも小学生らしく馬鹿馬鹿しい名札を書いて貼り出した。

それを見た僕の陽気な父親は「なんだこりゃ!?ばあちゃんまだ68歳(当時)だよな?」と間抜けな質問を母に投げかけていた。
咀嚼と馬小屋は完成したが、僕の馬に対する最大の好きポイントというのが、歩く時に鳴る「カッポ カッポ」というあの蹄の音である。

僕は我が牧場の老馬(老婆)にも歩く時に「カッポ カッポ」と音を鳴らして欲しかったが、「歩く時によく膝が鳴る」と零していたものの、さすがに「カッポ カッポ」という音が鳴らぬ老馬の為に、祖母が普段、縁側から出る時に履いていたサンダルを全て隠し、僕のお気に入りの下駄を縁側に出した。

余談だが、僕は小さい頃から祖父の影響で時代劇を見ていた為、江戸時代や昔の物が好きだった。

そんな僕は孫が同じ趣味であるという事で厳しかった祖父の心と財布の紐を見事に緩めさせ、自分専用の「湯呑み」や「たばこ盆」遂には自分専用の「信楽焼の狸」まで所有していた。

その中でもお気に入りだったのが下駄であり、休日、住んでいた村から隣町のスーパーマーケットに家族で買い出しに行く時には親の反対を押し切り「カラン コロン」と下駄の音を高らかに響かせ、したり顔で鮮魚コーナーを冷やかしていた。

この様に大事にしていた品の為、普段、家族の誰かが、この下駄を履こうものなら劣化の如く怒っていた。
特に祖母などは「さすが金遣いの荒い爺さんだ。つっかけやすい、良い下駄を買ったねえ」と大正生まれのハイカラさんであった為、生前に洋服や宝石、はたまた旅行等に金を使い込み、殆ど遺産を残さず死んだ祖父の金銭感覚を痛烈に批判しつつも、その見立ての良さを評価し、僕の目を盗んでは洗濯物を干す際に勝手に下駄を履いては、僕に怒られていた。

そんな訳で、普段ならば絶対に祖母に下駄を履かせる事はないが、今は「江戸の侍魂」よりも「西部のブロンコ魂」の方が勝っている。
そんな事も知らず、祖母は何の疑問もなく、普段僕の目を盗んでは履いてるであろうという事が読み取れる慣れた足捌きで下駄をつっかけ「カラン コロン」と鳴らすその下駄の音が、まるで「カッポ カッポ」と蹄を鳴らす馬の足音に聞こえるではないか。

それだけではない。

祖母が畑の雑草を刈り、リアカーに乗せて引くという、いつもの見飽きた農村風景が「老婆が履く下駄の音を馬が闊歩する音だ」と想像するだけで、西部の荒れた大地で、老馬が馬車を引く姿に見えるのだ。
そう、ここは群馬県子持村の寂みしい農村地帯ではなく、荒くれ者達がひしめく19世紀の未開の地、アメリカ西部の牧場なのだ。

僕は、馬に見立てた老婆が僕ら家族に美味しい野菜を食べさせようと、懸命に雑草を運ぶ中、一切手伝う事もなく、西部の牧場のロッジ(実際には田舎の古びた縁側)でウィスキーを飲む荒くれ者の真似をして、麦茶を乱暴にグビグビと口からこぼしながら飲んでは、悦にいっていた。

しかし、老婆の畑の手伝いをしないで、ご満悦で麦茶を零しながら飲んでいる荒くれ者に西部の未開の地は厳しい天罰を下した。
僕はズボンの中に何やら、冷んやりとモゾモゾ動く気配を感じた。
驚いた僕は、すぐにズボンを脱ぎ、縁側に立ちバサバサとズボンを揺らすと庭に「ボトリ」と長くて黒い塊が落ちた。

それは体長15センチはあろうかというムカデであった。

それを見た瞬間、僕の中の西部の荒くれ者の血や、ブロンコ魂はどこに行ったのか「キャー!!」という金切声を上げると「どうしたー?」と祖母がすっ飛んで来た。

余りの衝撃で言葉もなくムカデを指さすと、全てを察した老婆は「ワシの孫に何するかー」と激昂し、履いていた下駄の歯で「フン!!」と、ムカデを踏み潰した。

その姿はまるで、主人のピンチに駆けつけ前足を高く振り上げ、その蹄で敵を一蹴する荒馬の様であった。
しかし、この老婆が振り落としたのは蹄では無く、僕の大事な下駄である。

さらに、この老婆「仲間のムカデが死骸を見つけたら報復に来るかもしれないから」と西部の手を付けられない荒くれ者の様な了見で、もう既に息絶え、輪廻転生すら迎えているであろうムカデの身体を僕の大事な下駄の歯で何度も擦り潰していた。

それはまるで祖母がたまに野苺のジャムを作る時にすり潰すその作業に酷似していた。
この様に、年老いた牧場馬から見事、テキサスの荒馬と化した老馬の活躍で、ムカデの姿は跡形もなくなったが、僕のお気に入りの下駄の歯には、ムカデのジャムが染み付いていた。

それ以来、僕は江戸時代への憧れも牧場への憧れも消え、ただただムカデがいない都会への憧れを抱く様になり、牧場を作りたいだとか馬鹿な遊びはしなくなった。

しかし、その数週間後、姉と金曜ロードショーで観た「インディージョーンズ」の影響で遺跡を発掘しようとスコップで庭に深い深い穴を開け、最終的に水道管を破裂させたお話はまた、今度するとしよう。


おわり

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